

(9)次に甲骨文資料・写真〔45〕を選びましたのは、東西南北の字がはじめは馴染み易いかと思い、取り上げてみました。
この占いも殷王朝後期のものと思われます。というのは、この占いは東西南北すべて吉と出ています。
占いは神意を聴く、或は祖先をまつり忌避する、畏れ奉る意味で行われておりましたが、時代が下るにつれて吉と出るまで何回でも行われるようになりました
次第に王の意志が尊重されるようになり、吉と占う貞人が重宝されるようになるのは自然の成りゆきだと思われます。人の悪口を言う人より人を褒める人が好かれるのは今の世でも何らかわらないところであります。
ここで占いをキク、貞という字をさきに知っておきましょう。
甲骨文の
→貞テイ
1. 鼎の形を描いた象形文字。
2. ただしい、まっすぐである。
3. テイ、キク、占って神意をきく、まっすぐにききあてる。
古代より鼎テイが子々孫々受け継がれ、祖先の意志を尊重することから、鼎テイの形と音テイが貞というト辞の習慣を引くようになりました。
4
.は両耳の象形であるとも云われております。
今回は王自ら占っています。
商は平原の中の明るい高台、殷のこと。殷は他国からの呼称で殷の都は高台にあった狩猟農工都市、商のことです。その発展ぶりを殷賑を極めると他国の人は羨望を以って呼称しました。殷という字は身重の女性、おなか一杯の人を手で支えているかたち、はちきれんばかりの人、都の形容です。
600年間続いた殷の王朝も、BC1066年、紂王は周の武王によって滅ぼされます。
以後、殷、つまり商の社会制度、技術力は周の封建制によって取り入れられ、受け継がれてゆくのですが、殷の頑民(大工とか鍛冶屋とか職人根性の人)達は自分達の技術力を活して製品を売り歩き各地で生計を立ててゆきました。それが今も残る「商人」の言葉です。又、敗者の文字は士農工商と下位にさげすまれたつまらない伝統をも今日に伝えています。しかし、殷は廃墟となりましたが、商の人が各地へと散ったことで却って文字が広まり、儒教や老荘の思想を記述し、法家の考えを伝え、仏教を翻訳して写経をすすめ、漢字として中国各地、日本に伝えられたことは以って瞑すべきでありましょう。


Aの手からBの手へ、落とさないように渡し、失わないように受けとるさまを示す。もらう側からは「受」、渡す側からは「授」という。




かごを描いた象形文字、ざる状の鳥の巣に原義が残る、栖

右と左の両人が背をむけてそむいたさまを示す会意文字。
思わず背を向ける寒い方角が北