考証其の三・弥勒菩薩
中国に伝わった仏教は北魏の時代
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五、六世紀、洛陽に多くの龍門造像題記を遺している。それらは弥勒像に託
して素朴に縁者の冥福を祈り、民衆の安寧と国の安泰を「懇請(コンセイ)」している。単純明快な願文である。
一方、七世紀の大唐三蔵聖教之序碑文以後は漢訳の仏典が人天の大宝となり、仏典が仏の功徳を礼讃し、悟り
の「藐(カタチ)」を償讃してやまない。
自ずとそこには (
)と藐の漢訳に於る用字の違いがあり、混用の不思議が時代の波間に透けて見える。
ここでは、龍門二十品のうち最も古い牛ケツ造像記と、現代書壇の泰斗金子鴎亭遺墨から井上靖詩交脚弥勒を掲げ
たい。含蓄の多いフィルターだと思う。それにしても北魏の時代に見られる「
」の字の活字体が漢字辞典にないのは何故だ
ろう。
また、
「藐」の字は今度は一体誰が差し替えたのであろう。
『
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四九五年、十一月、使持節・司空公・長
楽王・丘ボク陵亮夫人ウッチは亡くなった
子供牛ケツの為に石工を頼んで、弥勤像一
を造って菩提を弔う。願わくば牛ケツの霊が
地獄、餓鬼、畜生の輪廻転生を離れ、若し
生を託するのであれば天上諸仏の所へ、若
し、再びこの世に生まれるのであれば自由
に楽しく暮らせる処へ、若し、苦しみがあ
れば取り除かれて、三途の悪道と永久に縁
を断って欲しい。一切の人々が皆この福を
享受出来ることを祈る』
牛ケツ造像記
「北魏という北方からやって来た民族の正體はよく判っていない。四世紀に國を樹てて大同に都し、あの大きな
雲崗石窟を鑿っている。百年にして洛陽に遷都し、ここでは龍門石窟を営み、そして六世紀頃消えている。本
当に消えて跡形ないのだ。そうした北魏の形見を一つ選ぶとなるとそれはおしゃれな交脚の彌勒さまというこ
とになる。脚を十字に交叉した殆ど信じられないような近代的な姿態は不思議に雷鳴碧落隕隕そんな天軆に関
するものを連想させる。星座にでも坐っているお姿かも知れぬ。當然なことながらこの彌勒さまはその民族と
運命を共にし、星の如く飛んで散乱し、また消えている。消えるほか無かったのだから日本にも傳って来ていない。」
井上靖詩交脚弥勒 鴎亭書
龍門古陽洞南壁の交脚菩薩像
AD501〜507年頃の製作
雲岡と龍門・昭和39年中央公論美術出版図47ヨリ
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